・私の書斎(나의 서재 )

◆三江酒幕(삼강주막 サムガンチュマク)  

私の旅、一冊の本から始まることがよくあります。

5月末の三江酒幕(삼강주막 サムガンチュマ)もそのケースでした。

X97889591344102010年に出たこの『막걸리 넌 누구냐?』と

いう허시명著のマッコリに関する本を読ん

で以来、行ってみたい場所の一つになった

三江酒幕、慶尚北道は醴泉郡豊壤面

三江里に位置しています。

早朝にソウルを発って10時過ぎには醴泉

バスターミナルに到着。

市内バスで、これまた行ってみたいお寺

だった醴泉の龍門寺へ。ここでお宝shinecrownshine

を拝見してバスターミナルに戻る。

さて、いよいよ三江酒幕に向かいます。

が、バスが出たばかりで、次のバスは16時。

このときの時刻、まだ15時半にはなっていなかったような…

お寺からバスターミナルに戻って、すぐにバスの時間を

確認すればよかったのにと思っても後の祭り。

その間、何をしていたかと言うと、路面工事中だった駅前交差点に面白い動きをする

工事車両がいて、それを眺めていた(私は子どもか?happy01

あまりに面白くてついつい見入ってしまったけれど、あれこそ動画に収めるべき

だったなぁ。

お日様sunは照りつけるわ、地面からの照り返しはきついわで、工事の見学は途中放棄。

駅舎の中は涼しいかしら?と醴泉駅へ。

待合室には数人のお客さんと荷物が…。

リュックから覗いている野菜。その他に透明なビニール袋にぎっしり詰まった葉物。

醴泉五日市で買ってきたんだろうな~。うらやましいな~。

と、そこへ、まもなく列車が到着しますとのアナウンスが流れる。

釜山行きのムグンファ号(慶北線)が入ってきたのを、動画に収めつつ、お見送り。

このあと、駅のトイレを拝借して、いざ!三江酒幕へと思ったときに、

バスは行った後だということが分かったのでした。

そして、あの釜山行きのムグンファ号を見送ってる場合じゃなかったことにも

気が付いて愕然(ノд・。)

あれに乗って龍宮駅まで行くという方法もあったのに…。

こうなれば、時間の節約にはタクシーを使うしかありません。

幸いにもバスターミナルの建物にくっ付いた形で、タクシー運転手の待機所が

設けられているくらい、タクシーはずらりと並んで客待ちをしていました。

疾走するタクシーから車窓の風景を眺めていると、途中で住居表示が隣接している

「聞慶市」になったり、、また「醴泉郡」に戻ったり、まもなく目指す三江酒幕に到着です。

ペットボトルのお茶を買うときにお話したターミナル内の売店のアジュンマは、

「タクシー代は2万ウォンぐらいかな~」と言っていましたが、結構な距離を走った

メーターの数字は3万800ウォン。

こういうときの常で、ドライバーさんは「3万ウォンでいいよ」と言ってくれました。

空車のままこの距離を戻るのだし、往復分請求されることも覚悟していましたので

やれやれでした(*^-^)。でもバスなら1,000ウォン程度で行けます(゚▽゚*)。

こうして、やっとたどり着いた酒幕。

さて、酒幕とは何ぞや?

小学館の朝鮮語辞典によれば、『(田舎の街道沿いにある)宿屋を兼ねた居酒屋』と

あります。古い時代を描いた小説や映画などにはよく登場する酒幕ですが、何しろ

実際に見たことはないわけで、私のもっていたイメージは、映画『西便制』の

最初のシーンに出てきた峠の酒幕でした。

1402572167351_2ここ三江酒幕は川辺にあります。

낙동강(洛東江)、내성천(乃城川)、

금천(錦川)、この三つの川の合流地点で

あることが三江の地名の由来です。

タクシーを降りると、ここに来る客目当ての

焼き栗屋さんのトラックがいて、試食の

焼き栗を一個もらいました。

ちょうど西日が、カ~~ッ、ジリジリと照りつけ、

熱々の焼き栗の気分ではなく、紙に包んでバッグに放り込んで歩き出す。

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予想していたより、はるかに広い敷地に

金弘道の酒幕の絵のような建物が何棟も

建てられています。

ここを訪れたのは5月27日火曜日でしたが

平日だというのに、結構、お客さんが入っ

ています。これも予想外でした。

何しろ、暑いっ!

さっそく冷たいマッコリをグビグビっと

行きたいところを、ぐっと堪えて、先ずは

写真を撮って回る。

敷地の外に出て、土手の上に立ち、

流れる川を眺めながら、この地が船着場として栄え、

本物の酒幕があった頃の風景や往来する人の

姿、飛び交う声なども想像してみる。

今ある建物は復元されたものです。

10年程前までは正真正銘の酒母・유옥연(ユ オギョン) ハルモニ(おばあさん)が

仕切っていたそうですが、残念ながら2005年89歳でこの世を去られています。

朝鮮時代から続く、いわば大韓民国最後の酒幕だった三江酒幕は、

新しく生まれ変わって、2009年から村人たちの手で運営されるようになり

今日に至っています。

慶尚北道 民俗資料134号に指定されてもいます。

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点在する建物の一つが厨房で、そのカウンターで注文し、計算も済ませ、

注文したものを受け取って好きな建物にセルフサービスで運んで楽しむ。

そんなスタイルです。建物内だけでなく、屋外にテーブルと椅子を並べて

もよし、外に設えられた평상(平床)で韓国スタイルを楽しむもよし。

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写真を撮り終えて、点在する建物、どこに落ち着こうかな~?と物色しながら

歩いていると、男性一人、女性二人の3人グループから

「ここに来て一杯飲んでいきなさいよ~」と、声が掛かりました。

ありがたいことです。

写真だけ撮って帰る人、と思われたのかもしれません。

どっこい、私だって「酒幕でマッコリ」を楽しみに、こんな辺鄙なところまで

やってきたのです。

「ちょっと待っててくださいね~」と返事をして、注文しに行きます。

何を注文するかは、韓国の方のブログでメニューを見て決めていました。
 

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↑삼강교(三江橋)

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ちょっとお洒落な(?)街路灯↑、これすっかりお気に入り。

我が家の玄関前に一本欲しいhappy01

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↓『주모 한 상 주이소』という名前のメニューですヽ(´▽`)/

주모は酒母(チュモ)。

バーやスナックのママさん、

喫茶店のママさん、なんて言い方をしますが、

酒幕のママさんは酒母(チュモ)と呼ばれますヘ(゚∀゚ヘ)。

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メニューというほどのメニューではありません(;´▽`A``

やかんのマッコリ5,000ウォン、白菜のジョン(チヂミ)3,000ウォン。

豆腐1丁3,000ウォン、トトリムッ(どんぐりの寄せもの)3,000ウォン。

それぞれ単品で注文も出来、これらのセットが『주모 한 상 주이소』な訳です。

주모~!と呼んで振り向かせ、目が合ったところで『한 상 주이소~!』と

慶尚道訛りで言う、こんな計画でしたが、計画は早々に脆くも崩れ…(笑)

なぜなら、주모(酒母)がカウンター前にいて、始めっから目が合ってますhappy01

『주모 한 상 주이소』の載ったドテっと重いお盆を持って、声を掛けてくれた

方たちのいるテーブルへ。

ご夫婦と奥様の友人の3人連れだったのですが、私が持っていったお盆を見た

ご主人、「3人でも1人でも量は一緒か~?」とhappy01

このセットメニューは14,000ウォン。

3,4人でも充分な量です。

セットだから割安な価格設定というわけじゃないところが、なんとも面白い。

統営以外の慶尚道で美味しい物を期待しちゃいけないといいますが、

ここの白菜のジョン(チヂミ)は美味しいです。

「独りマッコリ」の予定が、見ず知らずの方たちとの乾杯から始まったことも

よりいっそう美味に感じさせてくれたのかもしれませんが…。

50代のご夫婦でしたが、善山で衣料品店を経営していて、繁盛しているのだそうです。

この日は休業日というわけではないのだけれど、回龍浦観光に来て、そのついでに

三江酒幕に立ち寄ったのだと話されていました。

『막걸리 넌 누구냐?』によると、酒幕というのは酒代を払うとオマケで泊まることが

出来るというような書き方がされていました。

また朴景利の『土地』には、たとえ真夜中でも訪ねてくる人があれば

酒を提供しなければならないのが酒幕だ、というような表現がありました。

今現在、ここに泊まることは出来ませんが、酒幕の小さな建物には往時の雰囲気が

感じ取れる「사공숙소」や「보부상숙소」の看板が掛けられていて、かつては、

船頭さん(사공)の宿泊所と行商人(보부상)の宿泊所は、それぞれ別々の部屋が

割り当てられていたというこが分かります。

この日、善山からのご一行様と一緒にマッコリ御膳を楽しんだのは、

船頭さん(사공)の部屋でした。

縁側の上部にツバメの巣があって、ツバメさんの出入りが慌しい。

「日本にはツバメいないでしょ!ほらっ!写真、撮った!撮った!吉鳥だよ、吉鳥」と

賑やかで楽しい奥さんではありましたhappy01

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帰りは三江酒幕を18時に出るバスがあることを酒母に教えていただき

それに乗ってバスターミナルまで戻りました。

乗客はk_sarang一人だけ。

乗車時間は1時間15分ほど。

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この醴泉を走る市内バスの配色、前から見ても横から見ても

後ろから見てもやはり可愛いnote

三江酒幕を訪れる人のほとんどは自家用車利用のようです。

ということは、帰りは、みな飲酒運転(ノ∀`) アチャー

韓国、ここにも問題ありです^^;

韓国だけじゃなかった。

k_sarangにも大問題発生!

三江酒幕だけでも100枚ぐらいは撮っている画像を含む5月の旅の

すべてが入ったままのSDカードが見当たらないっ!!。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

というわけで、

この記事は、スマホでたまたま撮っていた画像のみで構成してみました^^;

全体の雰囲気が伝わらない画像ばかりなので、こちら などご参考に!

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◆再び 김약국의 딸들(キム薬局の娘たち)

今年中(2014年)に読了目指している朴景利著の『土地』。

その中の솔밋하다という単語ひとつが気になったばっかりに、安宇植氏の訳本を

入手するに至りました。

そのなかで気になる記述が目に付いてしまったので、

再び김약국의 딸들(キム薬局の娘たち)です。 

安宇植氏訳の『土地』全8巻は、私が今読んでいる나남出版の『土地』全21巻で言うと

1~4巻に相当します。全体が5部で構成されているうちの1部のみということになります。

26年の歳月を費やしての超大作ですから、安宇植氏が翻訳に取り組まれた当時は

まだ1部しか世に出ていなかったということもありますが、全8巻の訳書のうち

安宇植氏が訳されたのは1~5巻までで、残り6~8巻までは鎌田光登さんが

訳されています。

安宇植氏が『土地』の翻訳から‘降りた’理由はこちらに詳しい。

実は入手した訳本は、

『○○은 깻잎같이 솔밋한 얼굴의 땀을 닦아내며 미소지었다』の辺りに

目を通しただけで読んではいません。

安宇植氏の解説と、鎌田光登さんの急に翻訳を引き受けることとなった理由にも触れた

あとがきのようなものだけは読みました。

そのなかに『金薬局の娘たち』を読んだ時の体験が大きな動機となった、

というくだりがありました。

それに続く文章を引用すると次のようです。

この作品は旧韓末から日帝時代初期にかけての、

晋州の旧家の没落を描いたものであるが日本人は一切出てこない。

それから7年後に書かれたこの「土地」の中では韓日併合に至る前後の

日本に対する批判、恨みが痛いほど目につく。

一人の作家でありながら、日本という対象に対して、

どうしてこれほど態度が変わったのかという疑問にとらわれたのであった。

上の引用文中の、晋州というのは間違いで、小説の舞台は統営です。

朴景利が、いかにも『土地』で初めて反日精神を見せたかのような書き方も意外です。

『キム薬局の娘たち』にも、日本人をあざ笑うかのような朴景利の姿(?)が、

k_sarangには見えました^^;

たとえば、この小説のわりと最初の方、統営という見出しの部分、ページで言うと13頁に

다이코보리「太閤堀(たいこうぼり)」の説明が出てきます。

東洋で初めて造られた統営にある海底トンネルのことですが、これはかつて「太閤堀」と

呼ばれていたそうなのですが、日本人までもが呼んでいたことを滑稽だと朴景利は

書いています。豊臣秀吉は一度も朝鮮の地を踏んだことがないにもかかわらず、

太閤の名を冠することが可笑しいというのが、その理由です。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというヤツですね。

第4章の嬰児殺害事件の中では、「キム薬局」の長女である容淑が不倫相手との間に

生まれたばかりの赤ん坊を池に投げ込んで殺したという廉(かど)で、不倫相手とともに

警察にしょっ引かれるも、証拠不十分で釈放されるという場面が出てきます。

「어찌나 변설이 좋던지 왜놈 순사들이 홀딱 반했다 안 카나.

청산유수 같다더만, 게다가 절색이라」

(どれだけ弁舌さわやかだったか、日本人巡査のやつら、すっかり惚れちまったって

いうじゃないか。まるで立て板に水のごとしだったって。そのうえ絶世の美人ときたもんだ)

「허 그래 무죄석방인가요」(ほう!それで無罪放免かい?)

事件が事件だけに、警察署前は黒山の人だかり。

電柱によじ登って見物の子どももあり。ちょうど市の立つ日とあって地元の人々、

それに周辺の田舎から出てきた人たちでごった返すなか、慶尚道弁での

会話が続きます。

『土地』のように萩原だの林信夫だの緒方次郎・緒方健作などと

いうように人名では登場しなくても、こんな形で『キム薬局の娘たち』にも

日本人は描かれています。

美人容疑者に鼻の下を伸ばしている日本人巡査の姿、悪し様に、そして滑稽に描く、

これも反日でなくて何でしょう。

以上、鎌田光登さんの訳者あとがきに関してのたわ言でした^^:

--------------------------オマケの画像------------------------

統営市内中心部を散策中に見つけたバス停。

側面には朴景利の写真が…。

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バス停至近には薬局が…。

キム薬局ではなく、中央薬局でした^^;

統営には、はたして「キム薬局」は存在するのかしらん?

存在しないでしょうね。と自問自答してみたり。

なにせ、かつて映画化された「金薬局の娘たち」は

アジア映画祭で悲劇賞受賞したそうですから。

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◆『토지(土地)』を読みながらのたわ言 その2

毎度のことながら、「その1」からずいぶんと時間が経過してしまいました^^:

「え~っ!?2ヶ月も間が空いちゃったの?」と、自分で驚いております(笑)

「その1」を書いた直後に、安宇植氏訳の「土地(1~8巻)」を入手しました。

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訳文を読んでいると、原文がす~~っと浮かび上がるような忠実な訳し方を

される方ですので(かと言って、直訳調ではない)、どんな訳文に出合えるか

期待半分、もしも「訳抜け」だったとしても無理はないなという気持ち半分で、

その部分を開いてみました。

いや~肩透かしを喰らいました。

‘大山鳴動してねずみ一匹’というヤツですね^^。

『○○은 깻잎같이 솔밋한 얼굴의 땀을 닦아내며 미소지었다』の部分。

『○○は胡麻の葉を連想させる細面な顔に滲んだ汗を拭って、微笑んだ』と

訳されていました。

荏胡麻(エゴマ)ではなく、胡麻と来ましたか~?

胡麻の葉は、確かに柳の葉っぱのように細いですが…^^:

そんなわけで、솔밋하다は私の中ではまだ未解決のままです。

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◆『토지(土地)』を読みながらのたわ言 その1

昨秋の統営1日目の夜、中央活魚市場で刺身と焼き魚で軽く(?)呑んで、

早めのお開き。タクシーでホテルに戻る。

フロントで「ここからいちばん近いコンビニは?」と訊いて

教えられたとおりに、市内中心部とは反対方向に歩くこと数分。

あったのはコンビニではなく、제일슈퍼(第一スーパー)という名の小さなお店。

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「きっとここにもあるだろう」と入ってみると、ありました !!

探し物は統営の地マッコリ『山陽マッコリ』

お値段のほどは1.100ウォン。

さっそく買ってかえり、お部屋で一人マッコリ。

マッコリのお伴は、呑んだお店で包んでもらったあれこれ。

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エゴマの葉っぱ生昆布に、ほぐした焼き魚の身と調味味噌を載せ

包んでほうばる。そして冷たいマッコリをぐいっと一杯。

幸せな瞬間です(笑)

あっ、この記事はマッコリ紀行ではありませんでした^^;

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↑の画像の生昆布の右隣りにあるのが、ご存知깻잎(エゴマの葉っぱ)です。

朴景利『토지(土地)』のなかに、こんなフレーズが出てきました↓。

『○○은 깻잎같이 솔밋한 얼굴의 땀을 닦아내며 미소지었다』

(○○(人名)はエゴマの葉っぱのような솔밋한 顔の汗を拭って笑みを浮かべた)

「はて?솔밋하다ってどんな意味?」と引っかかりながらも、

「○○の顔がどんな顔か分からないままでも、大意を汲み取るのに

さほど影響はないさ」とそのまま読み飛ばしていました。

その前に‘깻잎같이がなければ、永遠に読み飛ばしたまんまだったと思われますが、

どうも何日経っても깻잎같이 솔밋한 얼굴が頭から消え去らないので、

辞書を引いてみましたhappy01

先ずは小学館の朝鮮語辞典を。

載っていません。

次は、方言も結構カバーしている角川書店の朝鮮語大辞典を。

えっ!?これにも出ていない。

さらに韓国の国語辞典を2冊、引っ張り出すもどちらにも載っていない。

ならばと、WEB検索。

朴景利の『土地』を読み解くための『土地事典』(임우기著)なるものが

あったのですが、絶版になった今、WEBで見られるのです。

それによると、솔밋하다は方言で、아주 작게 쏠림の意であるとのこと。

‘ほんの少し傾いている’顔?では、相変わらず???です。

「エゴマの葉っぱのように」が 頭に付いたら、なおのこと意味不明です^^;

밋밋하다(のっぺりした)の間違いなのでは?と思ってみたり^^。

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また、지식inに "솔밋"의 뜻은 무엇인가요...と質問している人がいて、

それに寄せられた回答が1件あり、以下のようでした。

솔밋하다 라는 말은 사전에 있지 않은 단어입니다

솔밋하다は辞書に出ていない単語です

어떤 소설이나 시에서도

(どんな小説や詩にも)

솔밋이라는 단어는 사용되어지지 않았고

(솔밋という単語は使われておらず)

박경리의 토지에 몆번 등장하였는데

(朴景利の土地に何度か登場しているのですが)

토지에서의  솔밋은 아마  부드럽다, 가지런하다 라는 뜻으로

사용된 것 같습니다

(土地の中での솔밋は、たぶん부드럽다, 가지런하다 の意味で

使われているようです。

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↑の回答者の説明も的外れのような気がするし…。

上に挙げたフレーズ以外のこれら↓の文章にも、부드럽다 가지런하다

当てはめようにも無理があります。

・서희 옆의 여인의 얼굴은 실상 넓은 편이었으나 양켠 귀밑으로부터

턱끝에 이르는 선이 가늘게좁혀졌고 이마도 귀밑머리意서부터

가리마를 향해 솔밋좁혀져 올라갔으므로

마치 은행알 같은 모양이라고나 할까.


・화장기 없는 기화 얼굴이,

솔밋하면서도 부드러운 이마에 남아 있던

생채기 생각을 석이는 한다

.

・솔밋하게 얼굴이 좁은 것도  함안댁의 느낌을 준다

描写の細やかさに接するのは無条件に楽しいのですが、

何はともあれ辞書を引かずに読みすすめるのが、

いちばんストレスを感じなくてすむようです^^;

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◆통영은 맛있다 (統営は美味しい)

およそ100年前の統営にタイムスリップしたいならば

『김약국의 딸들(キム薬局の娘たち)』。

今の統営を知るには、これをおいて他にないという1冊がこちら↓です。

『통영은 맛있다 (統営は美味しい)』

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美味しいといってもグルメ本ではありません。

統営は丸ごと美味しい処(ところ)なのです^^

季節ごとの海の幸fishについて、名物・忠武キムパッや꿀빵(蜂蜜パン)のこと、、

在来市場および五日市のこと、統営の生んだ芸術家たちについて、

その他多岐に渡って統営が紹介されています。

著者は詩人でありエッセイストである강제윤氏。

韓国の無人島以外の島をすべて制覇するという目標のもとに

すでに300余りの島を歩いて記録しているという方で、現在は

統営に定住。定住といってもその住まい方が面白い。

住みながらも「どうして毎日旅立たずにいられようか」と、

毎日統営を旅されている方です^^。

これから読まれる方もあるかもしれませんので、著者と内容に関しては

これぐらいに留めておきます。

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と、言いながら、少しだけ付け足しを…

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

数十年前に統営港(忠武港)の近くで『鍛冶屋』をご覧になったcocoa051さんへ。

この本によると、その鍛冶屋は現在でもまだあるようです。

(私が昨秋小高い山の上で見たのとは別の、港の近くに…)

その鍛冶屋のかつての名は、ずばり『忠武工作所』

鍛冶屋を韓国語で  대장간というそうですが、その대장간を統営では

공작소(工作所)と呼ぶとのこと。

道を一本入った裏通りで、店名を変えて営業中だそうで、

現在の名は『삼성공작소』

鍛冶屋の主(あるじ)は、この道50年余りの이 평갑氏(72歳)。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

book 통영은 맛있다 (統営は美味しい) 

・강제윤 著  / 写真:이상희

・생각을 담는 집(出版社)

・2013.7.10 刊

・16,000W

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◆김약국의 딸들(キム薬局の娘たち)

2013年を締めくくった最後の1冊は『김약국의 딸들(キム薬局の娘たち)』

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統営の生んだ著名な作家・朴景利著。

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統営コブクソンホテルの客室には、統営にちなんだ書籍が4冊置かれていました。

左から児童書が2冊並び、その隣りは青馬 유치환(柳致環)の詩集、

そして朴景利の『김약국의 딸들』。

その隣り、右端のは統営歩きの参考にと私が持ち込んだ1冊book

「宿泊記念にお持ち帰りください」だったら嬉しいのですが、残念ながら

「ホテルの 備品です。持ち出しはご遠慮ください」との注意書きがありました^^;

聖書や仏教の経典が客室の引き出しに入っているのは、ごく普通のことですが

ガイドブックなどではない一般の書籍が客室に備えられているのは、

私にとって初めての体験で、これには非常に感動しました。

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『김약국의 딸들』の書き出しはこうです。

『통영은  다도해 부근에 있는 조촐한 어항이다.부산과 여수 사이를

내항하는 항로의 중간지점으로서 그 고장의 젊은이들은 ‘조선의 나폴리’라 한다』

(統営は多島海付近にあるこじんまりした漁港である。

釜山と麗水を結ぶ航路の中間地点にあり、地元の

若者たちは‘朝鮮のナポリ’と表現する)

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小説でありながら、地誌のようでもあり、100年ほど前の統営にタイムスリップ

させてくれる歴史書でもある『김약국의 딸들』。

朴景利独特の描写の細やかさとストーリーに惹かれて、読む楽しさを

とくと味わわせていただきました。

ミステリー小説ではないのですが、のっけから次々に人が死にます。

砒素を飲んでの自殺に始まり、刀で斬る、斬られる^^;

欲知島で一人が死んで、

「まだ74ページだというのに、主要人物がみんな死んじゃったじゃない?」と

思った辺りから、本題が始まるのでした^^

重っ苦しい内容ですが、読んでいる間は、まるで100年前の統営に住んでいるような

気分に浸れました。

方言を声に出して読んだりもし、楽しみました^^

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江原道・原州に土地文学館があります。

『토지 (土地)』全21巻を読み終えたら行ってみましょうと、自分に課していて、

まだ行っていません。

また河東・岳陽面も、同じ理由で、あえて入り口までに留め、

とことん歩いてはいません。

昨秋は、せっかく統営に行くのだから、時間が許せば朴景利記念館にも

行ってみましょうと予定していました。

3日目の朝、ホテルでタクシーを呼んでもらい、最初に向かった朴景利記念館

到着してみて、が~~ん!∑(゚∇゚|||) 本日閉館!!

え~~~っ!?閉館日は月曜だったはず…

この日は10月24日の木曜日。

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この日のみならず10月31日まで臨時休館の貼り紙がありました。

なんでも外壁が崩落したとかで工事中。

この記念館、まだ出来てから幾らも経っていないはずなのですが…^^;

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統営市内のバス停、屋根とベンチ付きの↑のようなタイプには統営出身の

文化人の写真が使われているのですが、この記念館前のバス停は

当然ながら朴景利の写真でした。

閉館の貼り紙を目にし、「やはり『토지 (土地)』全21巻を読み終えてから

来なさいということネ」と潔くあきらめた私に、タクシードライバーさんは

張り巡らされたロープをくぐって「入ってみなさい、入れると思いますよ」と

そそのかすのです^^

「この人、典型的な韓国人だなぁ^^」と、思いつつ、次の目的地に向かって

もらったのでした。

この記念館前からも遠くに海が見えました。

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book 김약국의 딸들(キム薬局の娘たち) 

・박경리(朴景利) 著

・마로니에 북스(出版社)

・2013.3.25 刊

・15,000W

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◆『성녀와 마녀(聖女と魔女)』

更新ほったらかしで、ご心配おかけしました。

啓蟄間近ですので、そろそろ冬眠から覚めようかと…^^;

この先も、真冬にブログ更新が途絶えたら、冬安吾(동안거)と思ってください^^;

同じく、真夏に更新が途絶えたら夏安吾(하안거)中と…^^

そして半年以上更新がなかったら、この世の人ではなくなったと思ってくださいまし^^。

ところで、冬越し用の4冊は1月末に読み終えました。

この4冊と並行して、珍しく日本語の物を2冊読んだりもしました。

その2冊も韓国・朝鮮関連の物ですが。20121107021249_0

『詩人 白石 1 2 3』、おもしろく読み進めたのですが、

読み終えて、暗鬱な気分downに陥りました。

これは北朝鮮の人々の暮らしを思っての気持ちです。

백석(白石)は1912年生まれ。

김일성(金日成)も1912年生まれ。

この二人は面識があったことを読む中で知りました。

消息不明の백석(白石)を、あれほどまでに案じていた

詩人・則武三雄は1909年生まれ。

せめてもと思い、『詩人白石』と『則武三雄詩集 葱』を書棚に並べ、

邂逅の場を提供して差し上げておりますhappy01

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2月に読んだのは、朴景利の『성녀와 마녀(聖女と魔女)』と

朴婉緖の『못 가본 길이 더 아름답다』。

『성녀와 마녀(聖女と魔女)』は、1960年の作品。

一度読んだことがあったのですが、新鮮に読めました。

(つまりは、内容を忘れていたってことですね^^;)

2013年の読書計画…読みかけの朴景利のものを読了すること。

これが2013年最初のブログ記事ですね^^;

새해 인사가 늦었지만

건강하시고 행복 가득한 2013년이 되시길 두손 모아 기원합니다

.

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◆詩人・則武三雄(のりたけ かずお)

『白石詩全集』の冒頭で、意外にも日本の詩人・노리다케 가쓰오の詩を

読むこととなりました。

韓国語訳されたもので、

파(葱)というタイトルのたった7行だけの短い詩です。

その中に

벗,백석이여 살아계신가요

(友 白石よ 生きていますか)

と、その安否を気遣う1行があります。

日本の詩人・노리타케 가쓰오に関しては、

白石の天才性を誰よりも先に看破した

外国人文人であったと紹介されていました。

この葱という詩の原文(日本語)が、

非常に美しく日本的だと評価を受けていると、も。

노리다케 가쓰오という日本の詩人を、私は知らず、

さっそく検索してみました。

則武三雄(のりたけ かずお)。本名は一雄

鳥取県米子生まれ。

三好達治に師事し、福井県にて活躍。

白石とほぼ同時代を生きた詩人であることが分かりました。

葱という詩を読みたくなり、古本を入手しました。

‘벗,백석이여 살아계신가요’の原文は

「生きていますか」ではなく

「生きていらっしゃいますか」でもなく

「生きておられますか」でもありませんでした。

その1行の日本語に、私は泣きました。

感涙なんてものじゃなく、号泣ですsweat01

言葉のもつ力ってすごい!です。

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◆この秋冬を白石で過ごす…^^

「しらいし」でもなく、「しろいし」でもなく「백석(白石 ペク・)」と読んでください(笑)

詩人백석(白石)の生誕100年を記念して、この(2012年)秋出版された

これら4冊が、私の월동준비(越冬準備)ですhappy01

백석(白石 ぺク・

年譜

1912年 平安北道定州郡にて出生

1918年 五山小学校入学

1924年 五山高等普通学校(5年制)入学

      在学中、文学と英語に卓抜な素質をみせる。

1929年 五山高等普通学校(5年制)卒業するも、

      経済的理由で大学進学断念

1930年 1月 朝鮮日報 新春文芸賞に最年少(19歳)で入選

      同年3月、青山学院大学入学(文芸賞賞金及び奨学金にて)

1934年 3月 青山学院大学を優等で卒業(実質は首席であったらしい)

1934年 4月 朝鮮日報社 入社 校正部に所属しつつ、本格的に詩作活動を始める

1936年 詩集『사슴』を出版。文壇に大きな衝撃を与える

1936年 (25歳)朝鮮日報社 退社

      咸興永生高等普通学校に英語教師として赴任

      技生・眞香(子夜자야=金英韓女史)と知り合う

1938年   詩『나와 나타샤와 흰 당나귀』を発表 一躍有名となる

       12月教師辞任

1939年 1月 朝鮮日報 再入社

      10月 朝鮮日報 退社

1940年 (29歳)満州へ移住

      満州国 経済部 勤務  

      詩『북방에서』が当時の文壇に大きな衝撃を与える

1941年 日本人らの横暴に耐えかね満州国経済部を辞めたあと

      満州にて農業に従事

1942年 (31歳)税務公務員として安東(現在の丹東)税関に勤務 この年、結婚

1945年 古堂 曺萬植先生の翻訳秘書となる

      北朝鮮内の文学団体には一切加入せず

1946年 평양(平壤)居住 

      解放後、古堂 曺萬植先生と共に右翼文人として活動

      結果、辛酸を舐めることとなり、文人名録から除外される

      膨大な数のロシア文学を翻訳発表する

1956年 (45歳)月刊『아동문학(児童文学)』に応募し作品発表

      (児童を対象とした純叙情童詩)

      また純叙情童話文学を守るために(童話文学の発展のために)を

      発表 日本でも注目される

1957年 (46歳)これまで発表した作品を集め童話詩集を発表

      『문화신문(文化新聞)』編集委員として生計を維持

1959年 (48歳)咸鏡道の奥地で羊飼いの仕事に従事

      北朝鮮当局は党性の弱い文人たちを山間僻地や

      工場労働などに追いやった

      白石(백석)も、これ(粛清)に含まれていた

1963年 (52歳)消息不明となった白石(백석)を案じた

      日本の詩人・則武三雄(のりたけかずお)が追慕の詩を発表

1996年 2月初旬 咸鏡道にて他界(享年85歳)

      遺言『지금까지 내가 쓴 모든 원고를 불태워라  』 

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まずは↑全集にざっと目を通してから、『시인백석(詩人白石)』を

読み始めました。

春までにゆっくり時間を掛けてと思うのですが、そのおもしろさに、

ついつい読むスピードが速まりますrun

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青山学院大学留学時代の白石(本名:白夔行)の住所は

吉祥寺(きちじょうじ)1875番地。

ソウルは城北洞に吉祥寺(キサンサ)というお寺があります。

この寺の創建から日は浅く、まだ10数年しか経っていません。

有名料亭だった大苑閣の土地建物が、そっくりお寺に生まれ変わったのです。

法頂スニムの『無所有』を読んで感動した大苑閣の経営者、金英韓女史が

料亭の土地建物、それも当時の時価1,000億ウォンという莫大な財産を

寄付(布施)としてポンと差し出すという前代未聞な出来事でした。

世間一般の者(我々)が感じる不粋な質問『莫大な財産が惜しくはないですか?』

に対して『こんな金額は白石の詩の1行にも値しません』などと、

かっこいいことを仰った金英韓女史です。

一時(いっとき)、金英韓女史と白石は恋愛関係にありました。

1987年から10年という歳月を掛けての粘り強い寄進の申し出に、

拒絶を続けていた法頂スニムも、これを受け容れるに至りました。

このようなケース、法頂スニム個人の財産としての登録も可能なところ、

曹渓宗団への寄進という形を選択し、吉祥寺(길상사)は順天市にある

松広寺の末寺として登録されています。

曹渓宗側からの感謝に対する、金英韓女史の言葉、

「無いものを工面してでも差し出さなければいけない布施なのに

あるものを差し出しただけで、お恥ずかしいことでございます」

なかなか言える言葉じゃありませんね。

また、金英韓女史は『白石文学賞』創設のために2億ウォンを寄付。

料亭が寺に生まれ変わって3年後、金英韓女史は1999年83歳で

生涯を終えています。

その3年前に、遠く北の地で白石が亡くなったことは知りえないままに。

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ミーハーな動機で接近した「백석(白石 ペク・)」ですが(^^;)収穫多し。

まだ1巻の3分の1くらいしか読んでいませんが、この冬はこれで

寒さを忘れることが出来そうです。

book백석시전집(白石詩全集)

book시인백석1・2・3

・송준 著

・흰당나귀(出版社)

・2012.9.5 刊

・전집(全集)30,000W 1・2・3各25,000W

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◆李なにがし^^

8月23日の記事『九層庵と고로쇠물と尋眞スニム』にいただいたコメントで

すっかり忘れていたことを、一つ思い出しました。

数年前、ソウルの書店でのこと。

クレヨンで殴り書きしたようなタイトル『지금도 쓸쓸하냐』が目に留まりました。

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表紙の写真、一瞬、スニム(僧侶)かと思ったのですが、

短いながらも髪の毛があります^^;

スニムではありませんでした。

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著者名は、이아무개(李なにがし)とあります^^

表紙に顔写真を出しながら、本名は伏せたままなの?と疑問に思いつつ

表紙をめくると、이아무개氏の略歴があり、あっさりと本名が見つかりました^^

本名は이현주。

스님(僧侶)ではなく목사님(牧師)、童話作家であり、翻訳家でもある、

そんな人物だったのでした。

ペンネーム이아무개氏が書くところの『운문산답 지금도 쓸쓸하냐 』

운문산답(雲問山答)とあるように、雲(私)が問えば山(先生)が答える

一問一答形式ですが、単なる箇条書き風ではなくて、

読みすすめる楽しさがしっかりとあります。

短いものは1頁、長くても4、5頁。

ほんのちょっとした時間に、たとえば眠りに就く前、手に取って偶然に開いた頁を

ちょこっと読む。そんな読み方がお似合いの本かも…。

キリスト教信者ではない私の心にも、

違和感なくすーっと溶け込む内容です。

お釈迦様の教えとイエス様の教え、根っこのところは同じなんだろうなと思ったり。

book운문산답 지금도 쓸쓸하냐

・이아무개 著

・샨티(出版社)

・2003.10.20刊

・10,000W

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